Ⅱ フラメンコの魅力
私の好きな「フラメンコ」なるものは、踊りでも歌でもギターでも「鳥肌のたつ瞬間」のある「フラメンコ」である。フラメンコの中の「何」が「鳥肌をたてる」のかは現在研究中であるが、なんてことのないちょっとした瞬間だったり、激しくサパテアード(足のステップ)を打ちつけている瞬間であったり、歌い手の全身全霊の叫びの瞬間であったかと思えば、軽い声馴らしの瞬間であったことも、ギターのなんとも美しいファルセータ(メロディ)の音色だったり、曲がはじまるその第一弾の瞬間だったり・・・。挙げればきりがない。
そして、ためてためてためて、一気にエネルギーを爆発させるその「瞬間」がたまらなく好き。体中の毛が逆立ちして体が軽くなるような、そんな興奮を得られる。ちょっと一瞬「壊れた?!」と思わせるようなそんな瞬間である。
踊りに関して言えば、スペイン人でも日本人でもいろんなタイプの踊り手さんたちがいて、ヒターノ(ジプシー)独特の泥臭い踊りもあれば、バレリーナのように美しく舞う踊り、はたまたモデルノ(直訳すると現代風のなんだけど)といわれる斬新なちょっとおもしろくかわった動きをとりまぜた踊り(モデルノの定義は難しく、どこまでをモデルノと言うのか分からないけれど、あくまで私個人の意見として聞き流してください)などなど、100人いれば100通りの踊り方があるわけだが、どのタイプの踊りであっても「鳥肌のたつ瞬間」が感じられる、そんな踊りに魅力を感じる。
お恥ずかしい話、フラメンコの魅力にとりつかれたのは、フラメンコを始めて数年経ってからである。
ソロを踊らせてもらえるようになって、ギターと歌と三位一体(パルマ((手拍子))も入れて四位一体と言いたい)となって一つの曲を作り上げるその楽しさを知ってからである。
「フラメンコを始めた理由」でも述べたようにあくまで動機は不純だった。はじめた当時は音楽に乗って、体を動かす(踊るというのにはおこがましいように感じる)のがただただ楽しかっただけじゃないのかな・・・と今となって思う。もし、あの時出会っていたのが、フラダンスだったりジャズダンスだったりバリ舞踊だったりしたとしたら、その後の私の人生は変わっていた?!かも。大袈裟でなく、ほんとにそう思う。
本格的(というべきかどうかわからないけれど)にフラメンコを始めた頃、その当時通っていたスタジオは生徒さんたちももかなり(今ほどではないが)大勢いらっしゃって、その中でも熱心な方もたくさんいた。「フラメンコを踊るためにはもっとフラメンコを理解しなきゃっ!」こんな言葉をよく聞いた。スペインにも留学する人が後を絶たなかった。スペインに行けばフラメンコを理解できるのか??「フラメンコを理解???」
「リカイ」ってなんだ??その頃はそんなこと気にせず踊っていた私はみんなとの意識レベルの違いに愕然とした。訳も分からず何故か焦った。なんだかよく分からないまま、周りの友人たちに連れられ、関西フラメンコタブラオツアー?!が敢行された。その大半をみても「すごいな~、うまいな~、さっきの曲なんだっけ?ふーん・・・」とこんなレベル。が、その中で踊りやフラメンコの良し悪しは分からなかったが、「鳥肌」のたった人がいた。(後にこの人に弟子入りすることになる)そして「こんな風に踊りたい!!」そう思い始めた。そこから私のフラメンコへの「本当の興味」が一気に燃え上がったのである。そしてたくさんのフラメンコを見た。ビデオもCDもお金の許す範囲で集めた(貧乏OLだったのでほんとに少しだけ)。
でもいまだに「フラメンコ」ってなんだ?と思う。きっと「リカイ」はできてないと思う。「リカイ」するにはあまりにも「フラメンコ」は奥深く、偉大なものであり日本人である私たちにはとうてい手の届かないものなのかもしれない。ある有名なスペイン人の踊り手(日本でも有名だがおそらくスペインでの方が人気が高いと思う)が言っていた。「僕たちでさえ、常にフラメンコを勉強しているよ。それでもまだまだ。」
「リカイ」できてなくてもいいかー。なんと言おうと、好きなものは好きなんだし。
poco a poco
一歩ずつ・・・。少しずつ・・・。